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職場の店長からCDをもらった。
とても好きなバンドの曲だから聴いてみて、と。その人の、好きなものに触れる瞬間は、心をわけてもらったみたいでうれしい。
先日、北にある輸入雑貨のお店に行った。
足を運んだのは二回目。はじめて行ったときから随分時間があいていたにも関わらず、わたしのことを覚えていてくれてたのはとても驚いたし、なんだか現実味がなかった。
店主のすずなさんのことは一年程前にツイッターを知って、以来、一方的に憧れを募らせていたので、こうして顔を見て、直接話ができるというのは俄かに信じ難く、やっぱり現実味がない。
彼女の口から飛びだす言葉の数々は確かに同じ言語のはずなのに、まったく違う輝きを感じた。深い知識を丁寧な言葉で紡いでいく、奥ゆかしい女性。
せっかくなので我儘をいっておすすめの本を教えてもらった。
実はひそかに、いつか本を選んでもらいたいなと思っていたから、夢がひとつ叶った。
お店においてある商品はほんとうにどれも素敵で、ショッピングモールにある雑貨屋さんでは見たことないものばかり。すこしのお小遣いを手に駄菓子屋でお菓子を選んでいた、小さな頃を思い出す。
画面越しにみる彼女は雨上がりの静けさを纏ったようなイメージだったけど、実際はやさしい微笑みの似合う朗らかな人だった。ほんとうに、めちゃくちゃに素敵なひと。こんな女性になりたいとおもう。緊張してうまく話せなかったのが悔やまれるほど、とっても贅沢な時間だったな。
最近、指輪をつけたまま仕事をするようになった。
職場は結婚指輪以外アクセサリーを禁止しているのだけど、結婚指輪とはすなわち愛の誓いであるから、愛を込めて贈られたこの指輪も同等の価値であるというこじつけで勝手につけて行っている。
偶然休憩室で会った同期には、婚約でもしたの、と喰いつかれてわらった。
基本的に同調することが無難であると思っていたわたしだけど、なんかもう色々飽きてしまった。
なににと言われればすべてにとしか答えようがない。そうあるべきものに片っ端から怒りを感じていた中学の頃と、感覚的に似ているかもしれない。
同調するということは自分の意見を、感情を殺すということ。わたしはそういうの、もういいやとおもった。過去を思い返しては後悔する瞬間が増え、あまりの自己嫌悪になにかがぷつんと切れたのだ。
過去の選択に納得がいかないなら、今後わたしが自分のためにできるのは、せめてその失敗を微笑ましく感じられるほどの心のゆとりを持つこと、つまり、いまを愛せるように軌道修正すること。
叶えたい夢がある。それを夢のまま終わらせないために、通過点を明確にする。
一度きりの人生、目一杯、たのしむよ。