飄々と休日

 

慣れない靴に疲弊しきった足を酷使して、大阪を徘徊後、ようやく帰宅。今回の五連休はのんびりするつもりでほとんど予定を入れていなかったはずなのに、結局最終日の昼頃まで家を空けていた。

 

知人が鹿に会いたいというので奈良公園に行き鹿煎餅を購入するも鹿はまったく見向きもしない。差し出しても差し出しても華麗にスルー。人の心が折れる音を聞いた気がする。ちいさな男の子が鹿を見て顔を輝かせていたので知人が煎餅を一枚わけてあげたが鹿はそれをも素通り、母親が代わりにあげようとすると突進する始末。その後知人は熟考の末、煎餅に飽きている、違うものなら食べるのではと気づきどんぐりを拾い集め、念願の触れ合いを達成していた。わたしはといえば、一歩後ろで一喜一憂する様を眺めつつ時折カメラを起動。

 

その知人は良く言えば真っ直ぐで裏表のない人、悪く言えば融通の利かない人。彼はぽつぽつと、バイト先でベテランのおばさま方とうまくいっていないという話をした。わたしは柄にもなく出社拒否を起こして適当な理由で二日もさぼってしまったという話をした。わたしは彼にあなたが言ったことはけして間違いではないし、それは揺るぎない事実だけれど、相手に率直に伝えてもどうにかなる問題ではないということを言い、彼はわたしにそれは必要な休暇且つ正当な理由なのでさぼりとは言わないと言った。わたしたちは友人でも、ましてやそれ以上の関係でもないからお互いに事実しか言い合わない。問われれば答える程度で踏み込むことをしないのは感情を深く共有するほどの興味がなく、心が触れない距離に居心地の良さを感じているからだ。

 

母と昼食を食べ、これからのことを話した。彼女には決定事項で相談という段階にはないことを反対されていた。そのことについて変更するつもりはないと強い意志で伝えると母は静かに、もう好きにしていいと言った。「あなたは小さい頃、私みたいな生き方が良いと言っていて、それは困ると思っていた。けど、そうじゃないならいい」と。わたしはそのときの自分の発言を覚えている。どこで何をしているときにそう言ったのかも覚えている。でももうそのときの気持ちはない。

わたしはわたしの人生を楽しみたい。一度きりの人生、やりたいことが理想として頭のなかにあるというのに、いつまでも足踏みだけで終えるつもりはなかった。

価値観とは風潮環境個性感性など、その人が培ってきた人生の象徴だと思っていて、だからこそ人の考えを否定したくないという思いが強くある。だからこそ、否定されたくないという思いも強い。母とは根本的な部分で考え方が違い、両者とも自分の思想に自信を持つが故に深く話し合うほどに対立し、過去幾度となく否定されその度に大喧嘩になった。以前人生の選択は乗り越えられなかったものを基準に繰り返されるという内容のものをなにかで読んだ。わたしはそれが今であると確信していたし、もし納得されなくても実行するつもりでいたけれど、やっぱり、嫌味のない言葉で認めてもらえると心が晴れやかになる。

つまり母はわたしが思っていたよりもただの女で、保護者としての責任感があり、わたしを娘として大事にしてくれていて、能天気な女を装った策士であった。

 

いまの生活はくるしくて仕方がないことが多いけれど、もうすぐ自由になれる、それだけでうきうきとした気分になる。この生活をはじめてから明日という概念は今日の上に成り立っているから一日たりとも無駄ではないということを実感した。自分にやさしくするというのは丁寧な暮らしをすること。丁寧は暮らしとはゆとり、ゆとりとは愛があってこそのもの。誇れる自分になる。未来のわたしに、過去のわたしに、今のわたしに。わたしはわたしらしく飄々と生きるよ。